The Book'n Den

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あの女の正体は!? 今村夏子 著『むらさきのスカートの女』

f:id:hase-base:20220321140624p:plain みなさん令和初の夏、どのように過ごされていますか?

私は相変わらず本を読んでいました。暑い日は涼しい室内で読書をするに限りますね^^

8月の最終週には8月に読んだ本をまとめようと思います!

今月は何冊、本を読んだかな・・・♪

さて、今回わたほんで書く書評は第161回芥川賞を受賞した今村夏子さんの『むらさきのスカートの女』です。

そもそも芥川賞って?直木賞との違いは?

本を読む人が本を選ぶ時に参考とするのが、この芥川賞直木賞ではないでしょうか。

毎年芥川賞直木賞が決定するとニュースになったりするので、普段読書をされない方も耳にしたことはあると思います。

しかしながら、芥川賞直木賞、よく聞くけど実際何が違うの・・・?と思っている方もいると思います。

何を隠そう私もその1人。

実際私も今回初めてググりました。(Yahoo!知恵袋さん、ありがとう!)

  • 芥川賞・・・芥川龍之介の名を冠した純文学が選考基準の新人作家が対象の文学賞。短編・中編作品が対象
  • 直木賞・・・直木三十五の名を冠した大衆文学が選考基準の新人及び中堅作家が対象の文学賞。実際は新人が受賞することは難しくなっており、中堅作家が対象となることが多い。長編作品も対象作品に含まれる
  • 純文学・・・芸術性や形式について重きをおいた小説の総称でひとつのテーマについて書かれることが多い。
  • 大衆文学・・・純文学と比べて、娯楽性や商業性を重んじる小説の総評。この場合、ストーリーや話の展開を意識して書かれることが多い。
選考期間は下半期(7月)と上半期(1月)だそうです。賞として懐中時計が、副賞として金100万円が贈呈されるとのことでした

あらすじ

わたしの家の近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。 いつもむらさきのスカートを穿いているので皆からそう呼ばれているのだ。 商店街にむらさきのスカートの女が現れると皆、彼女に釘付けになる。 「気持ち悪い」と目を背ける人、「やった!ラッキー」とジンクス代わりに喜ぶ人、むらさきのスカートの女の興味を引こうとする人。 (実際「わたし」もそのうちの1人だった。むらさきのスカートの女はとても運動神経がよく、商店街の人混みの中で人とぶつかることは絶対にない。「わたし」はあえて彼女にぶつかってむらさきのスカートの女の反応を見たかったのだ) しかし、周囲にどんな反応をされてもむらさきのスカートの女は決して周りに動じることなく、彼女のペースで生活をしているのである。 そんなむらさきのスカートの女に「わたし」はどんどん惹かれていき、なんとかして彼女と友達になろうと努力することに・・・。 しかしいきなりむらさきのスカートの女に声をかけるのでは怪しまれてしまう。 「わたし」は怪しまれない方法で自己紹介をして、むらさきのスカートの女との距離を縮めるには同じ学校、もしくは職場に努めるのが一番いいと思い付き、行動を開始する・・・。

「わたし」とむらさきのスカートの女

この本は、語り手の「わたし」が「わたし」が気になっているむらさきのスカートの女を観察している観察日記となっています。 小学生の頃の夏休みなど、ずっと長いこと家にいると「あ、お隣のおばあちゃんが花に水をやっているな」とか、「あ、そろそろ買い物に行く時間かな」など、普段は気がつかない他の人の日常生活のスタイルに気付いた経験、ありますよね?(・・・見過ぎ・・・?笑) この本の主人公「わたし」は、まさしく幼少期の頃の私のようにむらさきのスカートの女の生体について事細かく観察をしています。 その観察力の鋭さはストーリを読み進めていくと「え!?なんでそんなところまで知ってんの??」「これさすがにヤバイでしょww」というレベル。 ツッコミどころ満載で面白い。むしろ怖い・・・。笑 どうしてここまで「わたし」がむらさきのスカートの女に興味を持つのか、私はその理由を物語の中に見つけられませんでしたが、これまでに「わたし」が生きて来た記憶の中にむらさきのスカートの女に似た人がたくさん存在しておいたので、過去の友人たちを彷彿とさせ、「この再会には何か意味があるのだ」と思わせ、衝動に駆られたのでは?と思っています。

むらさきのスカートの女から目が離せない!

「わたし」のおかげもあってか、無事に仕事を見つけたむらさきのスカートの女。 彼女が働き始めた職場は離職者がとても多い、曰く付きの職場でした。 動物園のような個性が強い人に囲まれながら仕事を始めたむらさきのスカートの女。 個性豊かな同僚たちと過ごしていくうちに、どんどん彼女らしさが出てくるようになります。

「この人は前半の人と同じ人だよね・・・」と言いたくなるくらい、ストーリーの中の彼女から感じられるオーラがどんどん変わっていくむらさきのスカートの女から目が離せません。

「わたし」から目が離せない!

ストーリーが進んでいき、むらさきのスカートの女が変わっていくに連れて「わたし」から感じられる印象も前半部分の印象と大きく変わっていきます。

そしてついに「わたし」とむらさきのスカートの女が出会い言葉を交わす時、読者が感じる「わたし」とむらさきいろのスカートの女の印象は逆転することになるでしょう。

いつから2人は交錯していたのか、読み終わってもなおスッキリすることが出来ずにまたもう一度読み返してしまうそんなストーリー。

あなたはこのストーリーの中に散りばめられた布線に対してのいくつの答えを見つけられるでしょうか。

今村ワールド前回の展開に引き込まれていくこと必至です!

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読書好きさんと繋がりたいです😊

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隠されたメッセージを集めて 伊坂幸太郎 著『重力ピエロ』

f:id:hase-base:20220321140253p:plain こんにちわ、さっちーです🌷

過去の本屋大賞を読んでみようシリーズ、今回ご紹介するのは2004年の5位受賞作品、伊坂幸太郎さんの『重力ピエロ』です。

私は伊坂幸太郎さんと同じく宮城県に住んでおります。伊坂幸太郎さんの作品は舞台が仙台市内なことがあるので読んでいると、もしかしたら私の日常のどこかで小説の登場人物とすれ違っているのかも・・・と思うことが出来、不思議な気持ちになりとても面白いです😊

春が二階から落ちてきた

『春が二階から落ちてきた』というびっくりする一文で始まるこの小説。主人公は泉水と春という2人の男の子。

この2人は兄弟ではあるもののあまり顔つきは似ていません。

なぜなら弟の春と兄の泉水とは父親が異なっているのです。泉水が産まれたあと、泉水の母親は突然見知らぬ男に襲われてしまい、その結果春を身籠ってしまったのです。

半分しか血が繋がっていない泉水と春ですがお互いを思う気持ちはとても強く、春にとっての泉水はいつも頼もしい存在であり、同時に何か有事があるとお守りのように側にいて欲しいと思う存在でした。

本書の随所には幼いころの2人のやりとりや過去のエピソードがたくさん描かれており、微笑ましくもあり胸が締め付けられるようなそんな気持ちになりました。

あらすじ

この本のテーマは「放火と落書きと遺伝子」です。

泉水と春の住む町で連続放火事件が起き、2人は放火が起きた現場には必ず落書き・グラフィティーアートが描かれているということに気付きます。

泉水と春、そして入院中の父はこの連続放火事件に興味を持ち、それぞれが放火事件の規則性について調べることに。

そんな中、泉水は落書き・グラフィティーアートにもある共通点、規則があることに気付きました。

未だ犯人が見つからず、発生する連続放火。もう少しで放火犯を捕まえられそうな泉水の前に現れた謎の美女の正体、泉水の会社の顧客の正体とは・・・?

今回の小説に隠されたテーマとは?

伊坂幸太郎さんの小説は毎回社会問題がテーマとして扱われています。

今回のテーマとしては「血縁」、そして「性犯罪」というのが隠されたテーマかな?と読んでいて感じました。

物語の終盤で、病に伏している泉水と春の父親が2人に向かって「お前たちは俺の子どもだからな」と語りかけるシーンがあります。

この父と春は血は繋がっていません。しかし、立派な「家族」だと私は思います。

日本では「血を分けた兄弟」「血は水よりも濃い」ということわざに代表されるように「血縁関係」がとても重視されています。

しかし、私は実際の血筋はあまり関係なく、どのくらいの期間一緒に過ごしたかで家族かどうかが決まると思っています。

なのでこの本を読んで家族愛に感動した、というコメントも見かけますが「血筋」や「血縁」をあまり重視しない私にとってはこの父の「お前たちは俺の子どもだからな」は当然というか当たり前の言葉かな・・・と思ってしまいました。

そして一方の性犯罪。

レイプ、性行為の強要など、性犯罪はまだまだ犯罪としての認知度が低く、「隙があったのでは?」「知り合いだったんでしょ」と相手にも責任をなすりつける風習があると思います。

しかし、性犯罪は立派な犯罪です。事件に絡んだ人は間違いなくその生涯に渡って十字架を背負うことになります。

この物語の家族も皆言葉には出さないけれど、やり切れない思いを抱えながらお互いに支え合って生きています。性犯罪の被害者がなぜこそこそと笑われながら生きていかなければならなかったのでしょう。

性犯罪が立派な犯罪だと周知され、悲しい思いをする人が少なくなればいいなと思いました。

終わりに

伊坂幸太郎さんの小説はストーリーの続きが気になりページをめくる手が止まらなくなるのと同時に、隠されたテーマについて考えるきっかけを与えてくれます。

私が泉水だったら、私が春だったら、私がこの2人の父親だったら、何を感じどういうメッセージをお互いにやりとりするのかな・・・と考えながら読み進めました。

小説の中で生まれた謎が解決したとしてもスッキリせず、どこかわだかまりを残したまま物語が終わってしまうのが伊坂さんの作品の最大の特徴だな、と思います。

読んだ後にズシンと重く心に響く1冊です。

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下りるために登るのさ 横山秀夫 著『クライマーズ・ハイ』

f:id:hase-base:20220321135848p:plain 過去の本屋大賞を読んでみようシリーズ、今回は2004年の本屋大賞で2位となった作品、横山秀夫さんが書かれた「クライマーズ・ハイ」についてご紹介させて頂きます。

実在した事件がベースとなった小説

この小説は1985年に御巣鷹山で発生した日航機ジャンボ機墜落事故をモチーフとした作品です。

私はこの事故が起きた時まだ産まれていなかったのでこの事件は「こういうことがあったのか」くらいの知識でしか把握していないのですが、512名もの尊い命が一瞬にして奪われてしまったこの事件。当時を知る人であれば「飛行機の安全神話」が撤回されるというインパクトが非常に大きな事故だったのでしょう。

作者の横山さんも以前は地元の新聞記者をされていたようです。だからでしょうか、新聞社の内部の事情がとても詳しく書かれていました。

とある新聞記者の壮絶な物語

群馬県の地元新聞社に務める敏腕編集者の悠木は、友人の安西と衝立岩に登る約束を取り付けていました。ワースト・オブ・ワーストとも呼ばれる衝立岩に登るという決意をしたものの、登頂に対し恐怖心が悠木を襲う。

安西と悠木は登頂日の前日に最寄りの駅で落ち合う約束をしていたが、数奇な事に駅に向かう数分前に世界最大となる飛行機事故である日航機墜落事件が起きてしまう。

突然降ってきた前代未聞の大事件に新聞社は大混乱。

今回起きた日航機ジャンボ機墜落事故の全権デスクとなった悠木。

悠木の一瞬の判断で社内全体が動いていく緊迫したシーンが続き、小説を読みながらもその臨場感が伝わってくるかのような1冊です。

この小説は現在の悠木が衝立岩に登るシーンで幕を開け、「17年前にも衝立岩に登るはずだった」と悠木が過去を回想する形で物語は続いて行きます。

そして日航機ジャンボ機墜落事故当時の悠木のシーンと、17年越しに衝立岩に登る悠木のシーンと小説は二部構成で進んでいきます。

静の家庭と動の職場のコントラスト

悠木をはじめ、悠木の社内の人は皆とても熱い人間ばかりです。

それは純粋に仕事に対する熱意なのか、過去の自分の栄光を定年まで勲章のように持ち続けるための威嚇のためなのか、その動機は人それぞれですが、皆自分の持ち場を守るために必死だな、というのが率直な感想です。

そんな熱い職場の環境に反して悠木は家庭に対してどこか一線を引いているかのような居心地の悪さを感じてしまいます。

それは悠木の息子の淳の顔色を伺ってしまうようになったからなのか、悠木の自身の幼少時代に原因があるのか、悠木自身もはっきりとはわかっていません。

この職場と家庭の温度差のコントラストが物語の中で非常にシャープに描かれており、緊迫したシーンが続いた後に家庭でのシーンが挟まれることで箸休めのような効果があるのかな、と感じました。

物語で描かれる死

この物語では日航機ジャンボ機墜落事故の犠牲者512名の死の他に悠木の友人の安西の死、そして悠木のかつての後輩である望月の死が描かれています。

物語の後半で望月のお嬢さんが登場し、悠木の作っている新聞に自身の投書を掲載してほしいと持ちかけます。

その投書は望月のお嬢さんが感じる「命の重み」について書かれていました。

新聞記者である悠木は「人の死」について鈍くなってしまっており、視聴者の道場を誘う一種の商売道具のように扱ってしまっていたのではないでしょうか?この手紙は何よりも心に響き考えさせられたのでしょう。

また、私自身ぞんざいに葬られる死なんてものはないと改めて感じる事になりました。

随所に考察すべきポイントが

この1冊を通して、社内政治とは何か、出世とは何か、人の死とは何か、家族との向き合い方、過去のトラウマとの対峙、など考えさせられるポイントが多かったように感じます。

また、私は冒頭のシーンから回想のシーンに移り変わっていることに気付くのが遅く物語の輪郭を把握するまで時間がかかり、事故が発生し状況が目まぐるしくなってくる辺りでようやく物語に追いついた、という印象でした。

私の感情が物語に追いついてからはいろいろ考察すべきポイントに気付きましたが、それまではただ漠然とストーリーを追うような読み方でした。

事故も大きく複雑、そして考えさせられるテーマも多く一度読んだだけでは消化不良といったところでしょうか。

このクライマーズ・ハイは映画化もされているので、映像作品も読んでさらに深く物語の世界に入り込もうと思います。

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年間100冊を超える本を読む私の読書術

f:id:hase-base:20220321135505p:plain こんにちわ、さっちーです

今回は私が普段実践している読書術について書いていこうと思います。

年間100冊を超える本を読む

私はわたほんの他にも企業さんで書評の連載を持たせて頂いているので、1週間で最低2冊は本を読んでいる計算になります。

すると、1年は53週なので100冊を超える本を読んでいる計算になりますね!(自分でもびっくり)

この他にも気になった本を手にするので130冊くらいは年間に読んでいる計算に。

冊数を多く読めばいい、というわけではありませんが実際に数字にしてみると「これだけ読んでいるのか」と自信になりますね😊

紙と電子書籍の使い分け

さて、そんな私ですが紙の書籍と電子書籍と、2種類の媒体で本を読んでいます。

電子書籍Kindleを使っており、KindleリーダーとiPhoneKindleのアプリを入れているので実質Kindle2台持ち(?)という状態です。

ちなみにKindleリーダーとiPhoneKindleでは開いている本が異なっています。

基本は複数冊同時読み

基本的に複数の本を同時に読み進めていくことが多いです。

そのため、家の至る所に本があります。数えてみると・・・

1、脱衣所の洗濯機の上・・・お風呂に入っている時に読む 2、トイレの中・・・トイレに本があると落ち着きます 3、作業デスク・・・集中力が切れた時に読みます 4、Kindleリーダー・・・移動の時に読みます 5、iPhoneKindleアプリ・・・朝の読書の時に使います

以上5箇所に本を置いていました。

作業デスク周り、そしてお風呂で読む本はビジネス書や小説、トイレの中の本は健康(ダイエット・栄養)に関する本が多いです。

Kindleリーダーは主に新幹線や飛行機、電車での移動の時に使っています。目に優しいので酔いにくい。そして読み終わったらKindleリーダーからamazonにアクセスし、次の本をダウンロードできるのが便利です。

iPhoneKindleアプリでは朝の時間に使う本(The Magicとモーニングメソッド)をすぐに読めるようにセットしています。

個人的にKindleで便利だと思う所はKindleリーダーとiPhoneのアプリで違う本が開ける点です。

もちろんダウンロードしている本は同期されますが、リーダーで開いている本がiPhoneでもTOPに表示されるワケではありません。

(リーダーで人間失格を読んでいて、アプリで人間失格を開くと「読んでいたページに遷移しますか?」と聞いてくれるのが嬉しいね😊)

ジャンルごとの本の読み方

ビジネス本や健康に関する本、情報を扱っている本はじっくり読むというより、今の自分にしっくりくる言葉を探すようにペラペラと読んでいます。言葉探しですね。

一方の小説は情景を思い浮かべるようじっくりと読み進めています。気に入ったフレーズや表現はメモしています。

細切れに読むと本の内容を忘れないか?とよく言われますが、忘れてしまう分「アレなんだっけ?」と繰り返し繰り返し読むことになるので知識は定着するのではないかと前向きに考えています。

以前は読書Instagramもやっていたのですが「見せるようにまとめる」のが苦痛になり、やめてしまいました・・・。今はノートに雑記して、時々読み返しています。

私が読書をする理由

私が読書をする理由は「自分の気持ちにあった表現を見つけるため」です。

『こういう時なんて言うんだろう・・・。この気持ちなんて言ったら伝わるかな・・・。』

そういう言葉を見つけるために読書をしています。

ビジネス本では自分の思考回路を整理する手助けとなり、小説では自分の心を整理する手助けとなっています。

その時によって変わる読書法

この複数冊同時読みは現在の私の生活のルーティンにハマってくれています。

しかし読みたい本が見つからない時、忙しい時はもちろんですが1冊の本をじっくりと読むようになります。(あとは悩んでいて答えを見つけたい時など)

読書の仕方でその時々のライフスタイルがわかるようになりました。

これからも読書と一緒に人生を歩んでいこうと思います😊

どうぞ引き続き来週からの書評もお付き合いくださいませ。 f:id:hase-base:20220303104201p:plain

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淡い思い出の数々 よしもとばなな 著『デッドエンドの思い出』

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こんにちわ、さっちーです

先週から突如始まった過去の本屋大賞受賞作品を読んでみようシリーズ第2弾。

今回ご紹介するのは2004年の本屋大賞7位受賞作品、よしもとばななさんの『デットエンドの思い出』です。

ばななさんの世界観がぎゅっとこの1冊に

デッドエンドの思い出は

・幽霊の家 ・「おかあさーん!」 ・あったかくなんかない ・ともちゃんのしあわせ ・デッドエンドの思い出

と書き下ろし4作品を含む5作品が収録された短編集です。

どの作品もばななさんの作品特有の心理的描写が美しく、読んでいて「こういう表現って素敵だな」と思う箇所が散りばめられており、1ページ1ページを大切にめくりたくなる1冊でした。

どこにでもいる普通の女の子

デッドエンドの思い出に収録されている5つのストーリーの主人公の女の子は皆どこにでもいそうな普通の女の子。

しかし、普通の女の子ですが皆心に擦り傷のようなものを抱えていました。

育った環境が複雑だった女の子、大好きだった人に振られてしまった女の子。

あとがきでばななさんは『この短編集は「自分のいちばん苦手でつらいことを書いている」という過程を経たものであり、「つらく切ないラブストーリーばかりです」』とコメントされています。

嬉しいこと・楽しいことは簡単に読み手の心に届き、思いを共有出来ますが、辛いこと・悲しかったこと・苦しかったことを読み手の心に届けるのはとても大変なことだと思います。

辛いこと・悲しかったこと・苦しかったことは自分の心の奥深いところにしまいこんでしまい、無理にでも記憶から遠ざけようとしてしまいますよね。

女の子の悲壮感を残酷すぎず、それであって「私も昔こんなことあったな」と思い出させてくれ、苦しい気持ちではなく、甘酸っぱい気持ちにさせてくれるばななさんは本当に言葉を紡ぐのがうまいなと感じました。

心に響いた一文たち

この1冊を通して特に私が「素敵だなぁ」「私もいつかこんな表現を出来るようになれたらいいなぁ」と思い、ノートにメモした一文たちです。

・家族のことで傷ついたことがない人なんて、この世にはひとりもいない ・心の揺れや変化がともちゃんにとっては充分「旅」だった ・大切にしているものがきれいな輪になってまわりに存在していることが、ともちゃんにとっての人生だった ・それは獲物を狙う鷹のようにではなく、まるで時間がたてば咲くつぼみのように、ただすうっと見ていたのだった ・一見悲しい珍しい経験をしたっていうだけで、みんないきなり親しい人みたいにふるまうんだもの。

「旅」を「心の揺れや変化」と表現しているのをみてハッとしました。

私がどうして旅をするんだろうと考えると、「非日常」をもとめているのであり、その「非日常」とは何だろうと考えるとやっぱり「心の揺れや変化」なんですよね。

うーん・・・。この表現、やっぱりすごい!!

私はこの5作品の中で一番好きな話はやはり「デットエンドの思い出」です。

あなたはどの作品が心にグッと来ますか?

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澄みきった永遠を感じられる静けさ 小川洋子 著『博士の愛した数式』

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私は昔から読書がとても好きでたくさんの本を読んできたのですが、思い返してみれば自己啓発書やビジネス書が多く、「一番心に残った本」や「心を揺さぶられた本」は何かと聞かれるとなかなか即答出来ない自分がいることに気付きました。

そこで、一度ビジネス書から離れて小説の世界へ足を踏み入れることにしました。

とは言っても何から読み始めればいいのかわからず、過去の本屋大賞受賞作品を読むことから始めることに。

今回は初回(2004年)の本屋大賞受賞作品をご紹介致します。

「僕の記憶は80分しかもたない」

このお話は初老を迎えた数学学者とその家に家政婦として通っている女性、家政婦の子ども(博士によってルートという呼び名が付けられた)の交流のお話です。

「博士」と呼ばれている数学学者は、若き日に遭った交通事故がきっかけで記憶が80分しか持たず、80分が過ぎればそれまでの記憶は真っ新に消え去り、また「初めまして」から始めなければなりません。

80分しか持続しない記憶力と、卓越した数学への愛に理解を示せず幾人もの家政婦が博士の元を去っていきました。

ある日ひょんなきっかけから家政婦に子どもがいると知った博士。

「子どもが家に1人でいるなんてとんでもない」と、学校が終わったルートを博士の家に呼んだことから3人の大切な思い出は始まっていきます。

博士の数にかける想い

この本の至る所に「素数」「友愛数」「双子素数」「自然数」「無理数」といった数学の専門用語が出てきます。

学生時代、数学はあまり得意ではなかった私でさえ、この本を読んでいると「数学って神秘的で、果てしない世界を知り得る鍵になるんだな」と思えて来ました。

この本の中で私が一番好きなシーンは

博士の書き記した数式が指先に触れるのを感じた。数式たちが重なり合い、一本の鎖となって足元に長く垂れ下がっていた。私は一段一段、鎖を降りてゆく。風景は消え去り、光は射さず、音さえ届かないが怖くはない。博士の示した道標は、なにものにも侵されない永遠の正しさを兼ね備えていると、よく知っているから。

というシーンです。

この本の語り手の家政婦もまた学生時代に数学を得意とはしていませんでしたが、博士と出会い博士から数学の崇高さを教えられるに連れ、その世界に惹かれていくことになります。

博士は数学の定理を「神の手帳にそっと記されているもの」と語り、とても丁寧に接していました。

物語を読み進めていくに連れ、博士が数学をその世界を愛し、とても大切に、とても丁寧に扱う姿が印象的で数学に対する深い尊敬の念に胸を打たれました。

博士のルートに対する愛情

博士は新しい出来事は80分しか記憶出来ません。彼の頭の中にあるのは、交通事故に会う前1975年より以前の記憶です。

そんな博士ですが、家政婦の子ども(ルート)に対しては「子どもに対して大人はこうあるべきだ」「子どもとはこのようなものだ」と持論を展開し博士が数学と関わる時間よりもルートと関わる時間を優先し、とても大切にしました。

ルートと一緒に学校の宿題を解くシーン、ルートが手を怪我してしまったシーン、ルートと一緒に野球を見にいくシーン、そしてルートの誕生日をお祝いするシーン。

博士のルートに対する愛情はとても深く、お父さんのいないルートにとってはとても楽しく幸せな時間だっただろう、と読んでいてとても暖かい記憶になりました。

博士の愛した数式とは

この物語の中盤にある1本の数式が登場します。

私は読んでいて「ははん、これがタイトルになった〝博士が愛した数式〟だな」と思ったのですが、それに対する答え合わせはありませんでした。

博士が愛したもの、そしてその数式が表しているもの、博士が物語の中に残した暗号は他にいくつかあるのですが最後まで謎は謎のまま。

数学も最終的に導き出される答えは1つですが、その答えにたどり着くにはいろいろなプロセスがあり、博士は博士が考えた問題にルートや家政婦がどんな回答をしても決して否定することはありませんでした。

きっと博士が残した暗号について我々が議論をしても博士はきっとそのどれもを否定することなく、優しく頷いてくれるのではないでしょうか。

博士の優しさが溢れる1冊でした。

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死神の涙のワケ 二宮敦人 著『最後の医者は桜を見上げて君を想う』

f:id:hase-base:20220321134326p:plain こんにちわ、さっちーです

時間が空いての更新となってしまいました。

最近、東京へ出張に行ったのですが、その時に読んでどハマりした1冊を今日はご紹介させて頂きます。

Kindle作品(Prime会員なら無料で読めちゃいます!!)なのでスマホでサクッと読めちゃいます😊

これはとある病院でのお話

舞台は地域基幹病院である武蔵野七十字病院。

ここには天才外科医と呼ばれる福原雅和と死神と呼ばれる桐子修司という2人の医者がいた。

この2人の医者は性格が真逆でいつも衝突を起こしてばかり。

あらゆる医療を尽くして患者の命を救う福原に対して桐子は「患者には自ら死を選ぶ権利がある」と持論を述べ、病院の先生を始め患者からも「死神」と呼ばれていた。

意見が真っ向から対立する福原と桐子であるが、どちらも患者から一定の支持を集めていた。

そんな2人を同期に持つ音山は。自分にはこれといって医者としての信念があるわけではないことに悩む毎日。

この3人の医師はとある3人の患者の死を看ることで少しずつ変わっていく・・・。

死について考えさせられる物語

当然ですが、人は誰しも「死んだ」ことは無いでしょう。だからこそ「死」がとても恐ろしく、苦しく、辛いものであると思い込んでしまいます。

この物語の中で死神こと桐子は

「大事な人だからこそ、真剣にその死に向き合うべきだと僕は思いますが」 「どこまで差し出せるかとは、どこまで命に価値を見いだせるかと同義の質問でもあります。あなたにとっての命とは、どんなものですか。きちんと考えたことはありますか。」 「死に振り回されると、往々にして生き方を失います。生き方を失った生は、死に等しいのではないでしょうか。逆に、生き方を維持して死ぬことは、生に等しいと言えるのではないでしょうか」

と述べています。

1分でも1秒でもいいから生きていてほしいと願い、延命治療を願う家族に対して桐子は疑問を投げかけています。

もし自らの病気が治らないものだとしたら、どこまで医療に差し出せるか。

死の代わりに視覚を失うとしたら?聴覚を、手を、足を、胃を、言葉を、記憶を失うとしたら?

あなたはどこまで差し出して、死の代わりに生を受け取りますか?

対極な2人

ありとあらゆる手を尽くして患者の命を救うことに執念を燃やす福原と、「死」を自ら選ぶ権利を主張する桐子。

両極端な2人だけど、どっちの意見も正しく、どっちの意見を優先したいか?と聞かれると返答に困ってしまう。

もし私が大きな病気に罹ってしまい、治らないのだとしたら。

その時私はどちらの先生に助けを乞うのでしょうか。

もし私の大切な人が大きな病気に罹ってしまい、治らないのだとしたら。

その時私はどちらの先生に助けを乞うのでしょうか。

あなたはどちらの先生に助けを求めますか?

2019年に映画化決定!!

この記事を書いている時に偶然目にしたのですが、こちらの作品を元に映画企画が進行しているようです。

まだ詳細は決まっていないようですが、ぜひ映画化されてほしいと思います。

また、この小説の続きも発売されているとのこと。

こちらも合わせて読んでみてくださいね。

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