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衝撃のデビュー作 伊坂幸太郎 著『オーデュボンの祈り』

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今回ご紹介する1冊は、今年作家生活20周年を迎えた伊坂幸太郎さんのデビュー作、『オーデュボンの祈り』です。

デビュー作にして、圧倒的な完成度。大人の童話、とも言えるこの1冊。

私が大好きな本の一つでもあるこの1冊。ご紹介していきたいと思います。

こんな20周年を記念した特別冊子が書店に置いてありました!

あらすじ

コンビニ強盗に失敗し逃走していた伊藤は、気付くと見知らぬ島にいた。江戸以来外界から遮断されている“荻島"には、妙な人間ばかりが住んでいた。嘘しか言わない画家、「島の法律として」殺人を許された男、人語を操り「未来が見える」カカシ。次の日カカシが殺される。無残にもバラバラにされ、頭を持ち去られて。未来を見通せるはずのカカシは、なぜ自分の死を阻止出来なかったのか?(Amazonより引用

コンビニ強盗を働いた伊藤が連れて来られたのは得体の知れない荻島。

150年前から外の世界との関わりを絶っているという荻島は伊藤の知っている日常と少しかけ離れていた。その中でも特に異彩を放っていたのは人の言葉を話し、未来が見えるカカシの優午。

この島に古くから伝わる言い伝え、『ここには大事なものが、はじめから、消えている。だから誰もがからっぽだ。島の外から来た奴が、欠けているものを置いていく』

この島に欠けているものとは一体?

様々な死生観

不思議な島にたどり着いた伊藤は案内人の日比野と共に島を廻ります。

物語が進むに連れて、この島の住人が殺されたり、命を落としてしまうシーンが増えて来るのですが、それぞれの命の終わり方や価値、意味について、そして遺された人たちの考察が随所に散りばめられています。

「死にたかったんですか」「と言うよりも、死んでも良かった、という感じだったんだ。自分のしたことが良いことなのか悪いことなのか判断が付かなくなったんだ。いっそ、全部を白紙にしたかった。もし高いビルがあったら、屋上に行ってみたかもしれない。実際そこから飛べるかは別にして」(p116)
「自分のしたことが、良いのか悪いのかも判断できなくなって飛び降りようとする男がいたらどうしますか?」「さぁ」そんなことは、その時にならなくては分からないではないか。「助けるんですよ」優午の口調は、命令してくるようにも聞こえた。「もしそういうことがあれば助けなくてはいけないんです」(p116)
「だから、何があっても、それでも生きていくしかねえんだ」家族が殺されようと、死にたいほど悲しくても、奇形で生まれてこようとも、それでも、生きていくしかないんだと彼女は言った。なぜならそれが一度しかねぇ大事な人生だからだ、と。(p202)
「動物を食って生きている。樹の皮を削って生きている。何十、何百の犠牲の上に一人の人間が生きている。それでだ、そうしてまで生きる価値のある人間が何人いるか、わかるか」ー桜(p304)
優午は自分の死ぬことを知っていたのか、どうか。単純な問いだ。答えは『知っていた』だ。知っていたのに僕たちには伝えなかった。伝えたかったのか、それとも伝えたくなかったのか。答えは、『伝えたくなかった』だ。理由は簡単だ、そもそも自分が死にたかったからにほかならない。(p408)

伊藤がこの島に来てからというもの、本当によく人が亡くなってしまうのです。こんなに毎日身近な人が居なくなってしまうなんて大変です。事件です。

これもファンタジーの世界だからこそだなぁと思って読んでいました。

ファンタジーの世界ではあるものの、描かれている死生観はとてもリアルで現代を生きる私たちにも「生きるとは」「命とは」を投げかけています。

人生とはエスカレター・行列のようなもの

人生ってのはエスカレーターでさ。自分はとまっていても、いつのまにか進んでるんだ。乗った時から進んでいる。到着するところは決まっていてさ、勝手にそいつに向かっているんだ。だけど、みんな気がつかねぇんだ。自分のいる場所だけはエスカレーターじゃないって思ってんだよ。ー伊藤の祖母(本文p42)
人生っていうのは行列を作るようなものだ。そうだろ?ぎっしり並んだ行列だ。知らない間に少しずつ進んでいて、いつの間にか列の先頭に来ている。ー日比野(本文p353)

前半の伊藤の祖母の言葉は“ケセラセラ”を彷彿とさせる言葉ですね。(ケセラセラとは「物事はなるようにしかならない」という意味です。)

みんな「自分の人生だから」と自らで人生を切り開こうと足掻くけれど、運命は決まっているのだからうまくやろうとしなくていいんだよ、ということを伊藤に伝えたかったのでしょう。孫を思う優しい祖母の気持ちが垣間見れます。

一方、後半の行列の話。

エスカレーターと同じように列を為す状況を比喩していますが、こちらは“ケセラセラ・なるようにしかならない”と楽観的な思いを表していると言うよりも、入念な準備をする間もなく舞台に上がらないといけなくなってしまう悲観的な思いを表現しているのかなと感じました。

人は誰しも自分の限界を越え、頑張らないといけない時があると思います。

普段から経験値と力を溜めているからこそ大舞台でも頑張れるのですが、知らない間に押し上げられ気付いたら舞台の上だった、そんな状況では持てる力を発揮することは難しいでしょう。

日比野が言う「人生とは行列のようなもので気付いたら列の先頭に来ている」は、自分の不甲斐なさは予期せぬタイミングで舞台に挙げられてしまうシステムの問題だと必死に自らを保身し守っているように感じられました。

私たちが知らず知らずの内に乗せられ一員となっているこの人生という列は、どんな舞台に進んでいて、大舞台に投げ出された時私たちは一体どんな姿を晒すのでしょう。

再読必須の終焉

背表紙の色が擦れるほど読んでいます😂

物語はどうして優午が死んでしまったのか、この島に欠けているものは一体何なのか、この2つの疑問がスッキリと解決されて終わりを迎えます。

これまでに散りばめられていた伏線が綺麗に回収されていき、「こういうことだったのか!」「さすが!」となってしまうこと間違いなしです。

そして私はまた冒頭から再読しました。再読するとまたそれぞれの登場人物の発する言葉の重みが異なって感じられ、違う側面が見えるのです。

読めば読むほど味が出る、そんなスルメのような物語でした。

余談ですが…

この島の登場人物の中に1人、「桜」という人物がいるのですが、この桜が静かに放った一言

「詩を食べて生きる」

この一言にうっとりしました。「詩を食べて生きる」、きっと桜が食べた詩は彼の一部となり、彼の思考となり原動力となるのでしょう。

最近話題沸騰している「ぼくもだよ。 神楽坂の奇跡の木曜日」のキャッチコピーも「人は食べたものと、読んだものでできている。」であり、こちらも大変素敵です。

なんだか桜の一言と通じる部分があるように感じます。

「詩を食べて生きる」の他にも「花を育てるのは、詩を読むのに似ている」というフレーズも出て来ます。

読書好きにはたまらない一言ですね😊