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生き延びようとするのは当然の権利だ。 中山七里 著『切り裂きジャックの告白』

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こんにちは、とってもお久しぶりになってしまいました(今見たら前回の更新、6月だったんですね・・・。)皆さんいかがお過ごしでしょうか😊コロナの自粛生活、お疲れ様でした。

今回は私がこの夏に出会い、めちゃめちゃハマっている社会派医療ミステリーシリーズについてご紹介したいと思います。

あらすじ

臓器をくり抜かれた若い女性の遺体が発見される。その直後「切り裂きジャック」と名乗る犯人からの声明文がテレビ局に届く。果たして「ジャック」の狙いは何か? 警視庁捜査一課の犬養隼人が捜査に乗り出すが……。(Amazonより引用

この本は先週11月14日から公開されている映画・ドクター・デスの遺産―BLACK FILE―と同じ「刑事犬養隼人シリーズ」の第1作品目です。

第2作目は七色の毒、3作目がハーメルンの笛吹男、4作目がドクターデス5作品目がカインの傲慢です。4作品目まで読破しました!

都内で連続して起こる猟奇的な殺人事件、その犯人は1888年にイギリスで連続発生した猟奇殺人事件の犯人の通称、「切り裂きジャックを名乗り」を名乗っていた。

殺した人間を「生きる資格のない人間だった」と一蹴する切り裂きジャック。果たして切り裂きジャックの正体、そして切り裂きジャックが人を殺す本当の理由とは・・・?

脳死・臓器移植というテーマについて

中山七里さんが描く「刑事・犬養隼人シリーズ」は通常のサスペンスやミステリー小説と異なり、今の日本に実在する医療分野に蔓延る問題を軸に物語が進んでいます。

扱われている問題は難しいものですが刑事物のストーリーに仕立てられていることで、登場人物の言葉や所作を通して我々読者にその問いを投げかけています。

この本のテーマは「脳死」、そして「臓器移植」です。

「脳死」という言葉は皆さんもきっと耳にしたことがある言葉でしょう。

脳死とは、脳幹を含む、脳全体の機能が失われた状態です。 回復する可能性はなく元に戻ることはありません。 薬剤や人工呼吸器等によってしばらくは心臓を動かし続けることはできますが、やがて(多くは数日以内)心臓も停止します(心停止までに、長時間を要する例も報告されています)。脳死とは|日本臓器移植ネットワークより引用

そして臓器移植。

臓器移植とは、病気や事故によって臓器(心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸など)が機能しなくなった人に、他の人の健康な臓器を移植して、機能を回復させる医療です。 臓器移植とは|日本臓器移植ネットワーク

最近では運転免許証の裏面に臓器提供意思表示の欄が記載されていたりと「臓器提供」という言葉は馴染みのあるものになって来たように感じます。

臓器提供意思表示カードはもし私たちが不慮の事故などで脳死となってしまった場合に、まだ健康である自らの臓器を他の必要としている人に提供するか、しないかを決める意思表示です。

みなさんは臓器提供意思カード、記入していますか?私は免許書の裏に意思を記し、自筆署名と家族の同意署名をもらっています。

日進月歩で進む医療の技術は、もはや神の領域ということが出来るでしょう。

脳死に関わる議論や他人の臓器を得て生き延びる行為は、命が持つ「天命」「寿命」であり「生を全うした」ということが出来るのかとても考えさせられます。

また、本人が臓器提供に関する意志を示していたとしても、家族がその意志をすんなりと尊重するとは限りません。

つまり、日本人の生死観からすれば臓器移植というのはどうにも馴染めないものなんです。アメリカ・ヨーロッパでは人体をパーツとして考える土壌があるので脳死がヒトの死であることに異論は生まれない。しかし、この国では死した後も亡骸を供養するという風習から、ヒトの死が総合的なものであると言う認識が根強い。心臓が止まり、身体がどんどん冷たくなっていくのを哀しく見守ることで死を受容する、というのが人間の古来の経験智であり文化である。(本書p176)

臓器提供をするということは脳の機能こそは失われているものの、健全な身体にメスを入れることと同義です。そして完全な身体で生まれて来たにも関わらず、葬られる時には胸腹部が空洞となって召されることになってしまいます。

せめて綺麗な身体で見送りたい、残された家族がそう思うのが当然の流れでしょう。

臓器を譲り受けて生きるとは

屠られた三人は他人の臓器を奪って生き長らえた者たちだった。しかも完全に死んだとは認められない人間から。それは人食いにも似た浅ましい行為だ。命のリレーだと?偽善にも程がある。ー切り裂きジャック(本文168p) (中略) 脳死が人の死であると規定した法律はまだないんだ。その意味ではジャックの言い分は的を射ている。現在、日本で行われている移植手術というのは生者を生贄にした臓器の争奪戦なのさ。ー犬養(本文168p)

日本に脳死を人の死として受け入れられない風土が残る以上、まだ生きている人から臓器を譲り受けることは、自分の生のために他人の死を望む行為に過ぎず、非道で浅ましく罪深い行為だとジャックは声明を出し、ジャックを追う刑事・犬養もまたジャックの指摘は決して一般論を逸脱しているのではなく、筋が通っているものであると認めました。

一方で過去に臓器提供を受けた子を持つ親のコメントは以下の通り。

「他人の善意はこんなにもしんどいのかって…ドナー患者さんから腎臓をいただいて普通の生活に戻れたかと思ったら全然普通じゃなかった。普通の人よりも頑張らないと皆は納得してくれない、人一倍汗を流さなかったら誰も許してくれないんだって、そう言っていました。他人の命をもらったんだから二人分の努力をしろ、お前を応援した者全員がいつもお前の行動を監視している。(本文p155)

なんだか切なくなってしまいますね。本来であれば「ただ生きている」というだけでその存在が認められて愛される、そんな世界が理想ですが現実世界はうまくいかないみたいです。

また、このような一文がありました。

本来、人の寿命とは天の定めたものです。健康でいられるのも逆に病に臥るのも天命なのです。それが経済的な理由で改変されてしまうことには忸怩たるものを感じます。(本文182p)

本来人の寿命は天が決めることであり、それに争うことは天を欺くことになる。人の命の重さに違いを生んではならない。

お金があるから、設備が整っているから助かる(臓器移植を受けられる)命があるということはその逆もあると言うことです。命の終焉を天が決めるのではなく環境が決めてしまうのはあってはならないと言うのです。

ここまで主張されてしまうとなんだか未来を望み、移植を受けることが悪いことだと感じてしまいますね…。

人は誰一人として一人では生きていくことは出来ず、人との関わりが必要となります。人が人と交わることでその人が持つ人間味を感じられ、その人柄を感じることでその人に対する優しい気持ちが生まれるはずです。

大切な人に生きて欲しいと願うことは罪なのか?

大切な人に生きていて欲しいと願うこと、生きたいと思うことは本当に罪深いことなのでしょうか?

私がこの本の中で一番救われたのは次のシーンでした。

「生き延びようとするのは当然の権利だ。その権利を放棄しようとするのは単なる臆病者だ」(本文254p) 「それにな、お前は、自分の命が自分だけのものだと思っているようだが違うぞ。お前を産んだのは母さんだが、命の半分は俺が与えた。だから俺の許可なく生き延びるのを諦めることなんか許さん。命の無駄遣いなんか許さん」(本文P255)

この台詞は重い腎不全を患い、臓器移植のドナーを待つ娘がいる刑事犬養が放った一言です。

自らの生について疑問を持った人に対してこれほどにまで力強く、勇気を与える言葉ってあるかな?と思うくらい優しく切実な言葉だと思いました。

本来生きることについて誰からの「許可」なんて必要ではなく、「許可」を与える、与えられるという関係は可笑しいものですが、刑事犬養の娘は12歳。自分の頭で考えることも出来ますが、また親の監護と導きが必要な状態です。いろいろな感情が渦巻く多感な時だからこそ父親から自らの「生」を肯定され、とても嬉しかったと思います。

人はたった1人でもいいから、心から信じることが出来て、自分を信じてくれる人がいるだけで生きていけるのではないでしょうか。何があってもこの人なら守ってくれる、この人なら気持ちを分かってくれる。そんな存在はとても心強いものです。

そんなたった1人が、これまで一緒に生きて来た家族であったなら。きっと心が揺らぐことは無いでしょう。

この台詞を躊躇なく発することが出来た刑事犬養はどんな時も真剣に愛娘を思っていたんだなと感じました。

終わりに

切り裂きジャックが連続殺人を行った理由は本人が口にしていたような大義名分からではなく意外な理由からでした。

しかし脳死や臓器移植の善悪に決着を付けない終わり方だったからこそ、物事の善悪や捉え方を我々読者に投げかけています。

中山七里の犬養隼人シリーズ、とても重厚で読み応えのある作品シリーズです。私は読後「スッキリ!」するような本より「うーん」と考えるような重いテーマを扱っている本が大好きだったのでどハマりしました。

重いテーマが好きな方はぜひ手に取ってみてください😊