The Book'n Den

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生き延びようとするのは当然の権利だ。 中山七里 著『切り裂きジャックの告白』

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こんにちは、とってもお久しぶりになってしまいました(今見たら前回の更新、6月だったんですね・・・。)皆さんいかがお過ごしでしょうか😊コロナの自粛生活、お疲れ様でした。

今回は私がこの夏に出会い、めちゃめちゃハマっている社会派医療ミステリーシリーズについてご紹介したいと思います。

あらすじ

臓器をくり抜かれた若い女性の遺体が発見される。その直後「切り裂きジャック」と名乗る犯人からの声明文がテレビ局に届く。果たして「ジャック」の狙いは何か? 警視庁捜査一課の犬養隼人が捜査に乗り出すが……。(Amazonより引用

この本は先週11月14日から公開されている映画・ドクター・デスの遺産―BLACK FILE―と同じ「刑事犬養隼人シリーズ」の第1作品目です。

第2作目は七色の毒、3作目がハーメルンの笛吹男、4作目がドクターデス5作品目がカインの傲慢です。4作品目まで読破しました!

都内で連続して起こる猟奇的な殺人事件、その犯人は1888年にイギリスで連続発生した猟奇殺人事件の犯人の通称、「切り裂きジャックを名乗り」を名乗っていた。

殺した人間を「生きる資格のない人間だった」と一蹴する切り裂きジャック。果たして切り裂きジャックの正体、そして切り裂きジャックが人を殺す本当の理由とは・・・?

脳死・臓器移植というテーマについて

中山七里さんが描く「刑事・犬養隼人シリーズ」は通常のサスペンスやミステリー小説と異なり、今の日本に実在する医療分野に蔓延る問題を軸に物語が進んでいます。

扱われている問題は難しいものですが刑事物のストーリーに仕立てられていることで、登場人物の言葉や所作を通して我々読者にその問いを投げかけています。

この本のテーマは「脳死」、そして「臓器移植」です。

「脳死」という言葉は皆さんもきっと耳にしたことがある言葉でしょう。

脳死とは、脳幹を含む、脳全体の機能が失われた状態です。 回復する可能性はなく元に戻ることはありません。 薬剤や人工呼吸器等によってしばらくは心臓を動かし続けることはできますが、やがて(多くは数日以内)心臓も停止します(心停止までに、長時間を要する例も報告されています)。脳死とは|日本臓器移植ネットワークより引用

そして臓器移植。

臓器移植とは、病気や事故によって臓器(心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸など)が機能しなくなった人に、他の人の健康な臓器を移植して、機能を回復させる医療です。 臓器移植とは|日本臓器移植ネットワーク

最近では運転免許証の裏面に臓器提供意思表示の欄が記載されていたりと「臓器提供」という言葉は馴染みのあるものになって来たように感じます。

臓器提供意思表示カードはもし私たちが不慮の事故などで脳死となってしまった場合に、まだ健康である自らの臓器を他の必要としている人に提供するか、しないかを決める意思表示です。

みなさんは臓器提供意思カード、記入していますか?私は免許書の裏に意思を記し、自筆署名と家族の同意署名をもらっています。

日進月歩で進む医療の技術は、もはや神の領域ということが出来るでしょう。

脳死に関わる議論や他人の臓器を得て生き延びる行為は、命が持つ「天命」「寿命」であり「生を全うした」ということが出来るのかとても考えさせられます。

また、本人が臓器提供に関する意志を示していたとしても、家族がその意志をすんなりと尊重するとは限りません。

つまり、日本人の生死観からすれば臓器移植というのはどうにも馴染めないものなんです。アメリカ・ヨーロッパでは人体をパーツとして考える土壌があるので脳死がヒトの死であることに異論は生まれない。しかし、この国では死した後も亡骸を供養するという風習から、ヒトの死が総合的なものであると言う認識が根強い。心臓が止まり、身体がどんどん冷たくなっていくのを哀しく見守ることで死を受容する、というのが人間の古来の経験智であり文化である。(本書p176)

臓器提供をするということは脳の機能こそは失われているものの、健全な身体にメスを入れることと同義です。そして完全な身体で生まれて来たにも関わらず、葬られる時には胸腹部が空洞となって召されることになってしまいます。

せめて綺麗な身体で見送りたい、残された家族がそう思うのが当然の流れでしょう。

臓器を譲り受けて生きるとは

屠られた三人は他人の臓器を奪って生き長らえた者たちだった。しかも完全に死んだとは認められない人間から。それは人食いにも似た浅ましい行為だ。命のリレーだと?偽善にも程がある。ー切り裂きジャック(本文168p) (中略) 脳死が人の死であると規定した法律はまだないんだ。その意味ではジャックの言い分は的を射ている。現在、日本で行われている移植手術というのは生者を生贄にした臓器の争奪戦なのさ。ー犬養(本文168p)

日本に脳死を人の死として受け入れられない風土が残る以上、まだ生きている人から臓器を譲り受けることは、自分の生のために他人の死を望む行為に過ぎず、非道で浅ましく罪深い行為だとジャックは声明を出し、ジャックを追う刑事・犬養もまたジャックの指摘は決して一般論を逸脱しているのではなく、筋が通っているものであると認めました。

一方で過去に臓器提供を受けた子を持つ親のコメントは以下の通り。

「他人の善意はこんなにもしんどいのかって…ドナー患者さんから腎臓をいただいて普通の生活に戻れたかと思ったら全然普通じゃなかった。普通の人よりも頑張らないと皆は納得してくれない、人一倍汗を流さなかったら誰も許してくれないんだって、そう言っていました。他人の命をもらったんだから二人分の努力をしろ、お前を応援した者全員がいつもお前の行動を監視している。(本文p155)

なんだか切なくなってしまいますね。本来であれば「ただ生きている」というだけでその存在が認められて愛される、そんな世界が理想ですが現実世界はうまくいかないみたいです。

また、このような一文がありました。

本来、人の寿命とは天の定めたものです。健康でいられるのも逆に病に臥るのも天命なのです。それが経済的な理由で改変されてしまうことには忸怩たるものを感じます。(本文182p)

本来人の寿命は天が決めることであり、それに争うことは天を欺くことになる。人の命の重さに違いを生んではならない。

お金があるから、設備が整っているから助かる(臓器移植を受けられる)命があるということはその逆もあると言うことです。命の終焉を天が決めるのではなく環境が決めてしまうのはあってはならないと言うのです。

ここまで主張されてしまうとなんだか未来を望み、移植を受けることが悪いことだと感じてしまいますね…。

人は誰一人として一人では生きていくことは出来ず、人との関わりが必要となります。人が人と交わることでその人が持つ人間味を感じられ、その人柄を感じることでその人に対する優しい気持ちが生まれるはずです。

大切な人に生きて欲しいと願うことは罪なのか?

大切な人に生きていて欲しいと願うこと、生きたいと思うことは本当に罪深いことなのでしょうか?

私がこの本の中で一番救われたのは次のシーンでした。

「生き延びようとするのは当然の権利だ。その権利を放棄しようとするのは単なる臆病者だ」(本文254p) 「それにな、お前は、自分の命が自分だけのものだと思っているようだが違うぞ。お前を産んだのは母さんだが、命の半分は俺が与えた。だから俺の許可なく生き延びるのを諦めることなんか許さん。命の無駄遣いなんか許さん」(本文P255)

この台詞は重い腎不全を患い、臓器移植のドナーを待つ娘がいる刑事犬養が放った一言です。

自らの生について疑問を持った人に対してこれほどにまで力強く、勇気を与える言葉ってあるかな?と思うくらい優しく切実な言葉だと思いました。

本来生きることについて誰からの「許可」なんて必要ではなく、「許可」を与える、与えられるという関係は可笑しいものですが、刑事犬養の娘は12歳。自分の頭で考えることも出来ますが、また親の監護と導きが必要な状態です。いろいろな感情が渦巻く多感な時だからこそ父親から自らの「生」を肯定され、とても嬉しかったと思います。

人はたった1人でもいいから、心から信じることが出来て、自分を信じてくれる人がいるだけで生きていけるのではないでしょうか。何があってもこの人なら守ってくれる、この人なら気持ちを分かってくれる。そんな存在はとても心強いものです。

そんなたった1人が、これまで一緒に生きて来た家族であったなら。きっと心が揺らぐことは無いでしょう。

この台詞を躊躇なく発することが出来た刑事犬養はどんな時も真剣に愛娘を思っていたんだなと感じました。

終わりに

切り裂きジャックが連続殺人を行った理由は本人が口にしていたような大義名分からではなく意外な理由からでした。

しかし脳死や臓器移植の善悪に決着を付けない終わり方だったからこそ、物事の善悪や捉え方を我々読者に投げかけています。

中山七里の犬養隼人シリーズ、とても重厚で読み応えのある作品シリーズです。私は読後「スッキリ!」するような本より「うーん」と考えるような重いテーマを扱っている本が大好きだったのでどハマりしました。

重いテーマが好きな方はぜひ手に取ってみてください😊

その作業、「不要不急」じゃないですか? 塚本亮 著『すぐやる人の「やらないこと」リスト』

f:id:hase-base:20220405150436p:plain こんにちわ😊皆さんお元気に過ごされていましたか?

新型コロナウイルスの騒動も逼迫した状態を脱し、ようやく落ち着きを取り戻して来たように感じられる今日この頃です。

今日ご紹介する1冊は塚本亮さんの『すぐやる人の「やらないこと」リスト』です。あなたが「やらない」と決めていることは何かありますか?

テーマは「不要不急」

新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されていた場面では「不要不急」というワードがあちらこちらで飛び交っており、耳にしなかった日は無かったと言っても過言ではないでしょう。

この行動は本当に「不要不急」なのか?という問いかけをおそらく皆さん自身に課したことと思います。また、多くの人が「不要不急」の行動を控えることで、これまでの生活とは異なる世界観を感じた方もいるのではないでしょうか。

奇しくも、この本も総じて「不要不急」のことは辞めましょうと訴えているように感じられました。

新型コロナウイルスでは「不要不急」の行動を控え、感染の拡大を防ぐのが目的でしたが、この本では「不要不急」の行動を控えることであなたの人生を豊にすることが目標となります。

すぐやるというのは、あくまでも「手段」であって、決して「目的」ではありません。

仕事が出来る人は「即レス」「即リターン」とは言われるものの、「すぐにやる」ことは手段であって、「目的」ではないというこの筆者の言葉が胸に響いた私はきっとこれまで何か勘違いをしていたのでしょう。

果たして目の前のことは本当に「今の私と私の未来にとって重要なのか?」をきちんと自分の頭で考え、行動を起こすことがこれからの時代に求められるのだと感じました。

すぐやる人が「やっていないこと」は一体何??

この本にはすぐやる人が「やっていない」ことの例が50個、リストアップされています。

一例を挙げてみましょう・・・

  • 頭の中だけで考えない
  • 真正面からぶつからない
  • 「なんとなく」で仕事を始めない
  • スマホをカバンにしまわない
  • 他人の期待しない
  • 毎日同じカバンを持たない
  • エレベーターの「閉」ボタンを押さない
  • 当たり前のように黒のペンを使わない

「どうしてこれをやらないの?」と興味をそそられるリストではないでしょうか😊

これらを含む50項目について塚本さんが「どうしてやらないのか」「やらないことでどういうメリットが生まれるのか」を時に体験談を交えながら解説してくれています。

「やらないこと」で見える新たな側面

50個にも渡る「やらないこと」のリストを読んでいて思ったのは「やらない」=「辞める」のではなく、「やらない」=「異なった側面で物事を見る」ことなのだな、ということです。

「やらない方がいい」「やらなくてもいい」と聞くと、ちゃっかり楽したがりの私は「やったー」と匙を投げてしまいそうになりますが、ここで言うあくまでも「やらないこと」と言うのは「広く普及され、その本質を問われることなく風化してしまったこと」を従来通り繰り返さないことであり、自分なりの視点で物事を見て、必要に応じて「改善してやってみる」ことを提唱しているように感じました。

この自分なりの視点で物事を見て、必要に応じて「改善してやってみる」ことが、自分の頭で考えることであり、引いてはオリジナリティと自分の自信を築き上げ、「やれる人」へと繋がっていくのでしょう。

わたしのやらないこと

この本を読んでフッと「私が意識してやっていないことって何だろう・・・🤔」と考えてみました。

やらない!と決めていることはあまりないかなぁという印象だったのですが、「長所と短所は紙一重」と良く言われるように、「気をつけていること」はたくさんあるなぁという印象でした。

やっていることの裏を返して「やらないこと」としていくつかリストアップしてみます。

  • 朝の時間をダラダラ過ごさない
  • 「あとちょっと」とタスクをだらだら引き伸ばさない
  • 座れない電車には乗らない
  • 不安を解消することにお金を使わない
  • 雑多な環境で仕事をしない

・・・誰の参考にもならないかも知れませんが・・・😂

やらないことについて考えていると、自分が大切にしていることやルーティンがわかってくるのでぜひ皆さんも考えてみて下さい😊

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「あなた」と「わたし」から生まれる大切な言葉 瀬尾まいこ 著『強運の持ち主』

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今回ご紹介する1冊は瀬尾まいこさんの「強運の持ち主」です。

そして、バトンは渡されたが2019年の本屋大賞を受賞した瀬尾まいこさん。今回ご紹介する「強運の持ち主」は10年前の2009年に発行された本ですが、瀬尾さんが描くハートフルなストーリーはこの本でも味わうことが出来ます。

誰しもは一度は「強運の持ち主になってみたい」と願ったことがあるのではないでしょうか。本のタイトルにもなっている「強運の持ち主」。

強運の持ち主の一生を描いた作品なのか、強運の持ち主はどのように日常生活を送っているんだろうと興味を持ち、この本を手に取りました。

あらすじ

ショッピングセンターの片隅で占い師を始めたルイーズ吉田は、元OL。 かつて営業職で鍛えた話術と、もちまえの直感で、悩む人たちの背中を押してあげるのが身上だが、手に負えないお客も千客万来。 「お父さんとお母さん、どっちにすればいいと思う?」という小学生。 何度占いがはずれてもやって来る女子高生。 「俺さ、物事のおしまいが見えるんよ」という大学生まであらわれて、ルイーズはついに自分の運勢が気になりだす…。 ほっこり優しい気持ちになる連作短篇集。

この本の主人公は人間関係に疲れてしまい、1人で気楽に働ける占い師に転職することに。ショッピングセンターの片隅で占いを初めて3年になる主人公。今日も不思議なお客さんたちが主人公の元に訪れます。

占い師って実際こんなもんなの??

私がこの本を読んで一番最初に驚いたのは主人公の占いのスタイル(?)でした。

いかにもそれらしく表を描いてみる。いくつかの数字を書き、折れ線グラフみたいなものを示す。
これで三千円。ちょろいものだ。1人20分で三千円。1日平均20人は占うから、合計6万円。場所代や諸々の費用を除いても、いい儲けになる。
仕事内容は簡単だ。性格を言い当てて、この先いいことがあるってことをほのめかしておけばいい。それで、お金がもらえて、相手だって気持ちよく帰っていく。
どんな人だって、弱いところがあるし、頑固なところもある。繊細だって言われれば喜ぶし、優しい人だと言われて悪い気はしない。そういう誰にでも当てはまりそうなことを、それらしく話しておけばいいのだ。

どうでしょう。

きっとこれまでに占い行ったことのある経験のある人ならば、(一番最初の折れ線グラフを除いて)「確かにこんなことを言われたな・・・」という内容ではないでしょうか。今後私が誰かから相談を受けたら上記の内容を元に背中を押してあげたいと思うくらい、悩み相談のテンプレのような仕事っぷりですね。

ちなみに私は新宿にあるよく当たる手相占いに言ったら「これは徳川家康と同じ手相だね」と言われたことがあります。徳川家康の手相なんて残っている(?)んだね!?と思いました。

ここまでざっくばらんに占ってくれる(話に付き合ってくれる)占い師さんがいたら通いたくなるな・・・と思いました。

こう考えてみると占い師さんって、リピーターを不要としないカウンセラー のようなものですね。

主人公はこの適当さが(恐らく)お客さんにも伝わってしまっているものの、なんとか占い師っぽく取り繕う場面が何度か描かれています。なんだか読んでいて微笑ましく思えてしまう占い師の日常の一コマでした。

瀬尾さんの描く優しい日常の一コマ

瀬尾さんの小説の中で特に私が好きな部分は、ストーリーの中に散りばめられている優しい日常の一コマです。人の日常や普段の生活を垣間見るとリラックス効果を感じるのは私だけでしょうか。

今回のストーリーでも主人公の彼氏の通彦がとてもいい味を出してくれていました。

ぼんやりしていていつも呑気な通彦ですが当たり障りのない平和で平凡な日常があるからこそ、その優しくおっとりした性格になったのだろうなぁと感じました。

短気で気移りしやすい主人公とのアンバランスさが一見不釣り合いなように見えて絶妙なバランスとなり、2人の絆を強くしてくれているのだと思います。

また、通彦はびっくりするくらい料理のセンスがなく(笑)、読みながら「それはないよな〜」と思いながら2人の食事を想像してしまいました。

誰かの一言が心を軽くする

主人公は占いの道を極めたいと、占いの道に進んだわけではありませんが、雑な気持ちで占いをしているのではなく、「お客さんに気持ちよくなって帰ってもらいたい」「背中を押してあげたい」という気持ちからお客さんに言葉を選んで語りかけます。

「お客さんに気持ちよく帰ってもらいたい」「背中を押してあげたい」という気持ちが強いのでしょう。そのせいか、占いに来るお客さんを「めんどくさい」と思いながらも自宅に帰ってからも気にかけたり、休日を返上して様子を見に行ったりしてしまいます。

主人公自らも「たかが占い」と口にしますが、「たかが占い」と割り切れず行動してしまうのはこの出会いが誰かの人生を変えるかも知れないと心の奥底でいつも思っているからではないかと感じました。

気休めで放った言葉が誰かの心を軽くしたり、誰かのお守りのようにその人を包んだり、勇気を与えたり。出会いから生まれる会話は偶然を超え、胸に残り続けるものを生み出します。

「1人のほうが気楽でいい」と豪語していた主人公ですが、誰かといることで生まれる会話の中にその人の人生を変えるかも知れないエッセンスが詰まっていることに気付いたのでしょう。

「あなた」と「わたし」だからこそ生まれる思いを伝えてあげること。「あなた」と一緒にいる「わたし」だからわかること。これは占いの技術を使わなくとも、一緒に過ごした日々が自ずと正解を導き出してくれることだと思います。

きっとあなたにも忘れられない一言があるのではないでしょうか。あなたが大切にしている言葉の数の分だけ、あなたが放った何気ない言葉も誰かの胸でずっと煌めき続けているはずです。

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「やりたいこと」はなくていい、でも「あったらいい」のは・・・ 伊藤羊一 著『やりたいことなんてなくていい』

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伊藤羊一さんの本と言えばこれまでに出版された本のタイトルのインパクトが大きく、目を引くものがほとんどです。「1分で話せ」や「0秒で動け」など、短いワードで言い切れる具体的かつ印象に残るタイトルが多かったと思います。

私も過去に書評を書いています👇

今回ご紹介する「やりたいことなんてなくていい」はこれまで出版された本のタイトルと異なり、なんだか具体性に欠けるような気がしましたが、読んでみたら今までの本の中で一番好きな1冊となりました。

新型コロナウイルスが流行し、既存の働き方が見直されつつあるこの時代に「やりたいこと」について今一度考えている人も多いかと思います。そんな方にはぴったりな1冊だと思います😊

今やっていること、実は「やりたいこと」じゃなかった

著者の伊藤羊一さんの経歴を見てみましょう。

東京大学経済学部卒、1990年日本興業銀行入行、企業金融、債券流動化、企業再生支援などに従事。 2003年プラス株式会社に転じ、ジョインテックスカンパニーにてロジスティクス再編、事業再編・再生などを担当後、執行役員マーケティング本部長、ヴァイスプレジデントを歴任、経営と新規事業開発に携わる。 2015年4月ヤフー株式会社に転じ、Yahoo!アカデミア本部長として、次世代リーダー育成を行う。KDDI∞ Labo、IBM Blue Hub、学研アクセラレーター、青山スタートアップアクセラレーションセンター、Startup Weekendなど事業開発プログラムのメンター、コーチを務める。 グロービスGDBA2011年修了。2012年グロービス・アルムナイアワード変革部門受賞。 (GLOBIS 知見録より引用)

一見輝かしく、成功者への道を順風満帆に歩んできたかのように見える著者ですが、本人曰く「不良社員だった」とのこと。

仕事がうまくいかずにうつ病にもなったという伊藤さん。どんよりとした日々を送っていた時に救ってくれたのは奇しくも「仕事」でした。

  • 仕事に逃げるなら全力で行きましょう。合格点ギリギリの80%でこなすのではなく、120%を目指すのです。
  • 足下の仕事を120%の力でやる。それが私なりのキャリア論のスタートです

わらしべ長者的キャリアを築きあげる「3つの極意」

伊藤さんはこれまでのご自身のキャリアを振り返ってみると、「やりたかったことをやっている」と言うよりも「当時の職場でやらなければならなかったこと」、「たまたま頼まれて始めたこと」が繋がって行った結果今がある、と振り返られていました。

このようなキャリアの作り方を本の中で「わらしべ長者的キャリア」と表しています。そしてそのわらしべ長者的キャリアの作り方は以下の方法だと解説しています。

  1. クオリティを徹底的にあげよ リアルな経験を積み、so what?で抽象化
  2. 常に人を驚かせよ 驚きは「口コミ」になり、自分の可能性を開く
  3. 食わず嫌いせず、何でも引き受けよ 「何でも頼めるやつ」という評判をつくれ

「百聞は一見にしかず」という言葉もある通り、その人自身が経験はとても貴重で他の人が取って変わることの出来ないものになります。

そんな経験をたくさん積んで、自分なりの一般論や教訓を自分の言葉で伝えられるようになること、言語化し人に伝えていくことが大事だと伊藤さんは述べています。

また、経験を積むために仕事をこなしていくことは、必然的に仕事のクオリティをあげることに繋がっていきます。仕事のクオリティを高めていくと、必ずどこかで相手がびっくりするポイントを作り出すことが出来ます。

驚きは口コミになり、あなたの評判は自然と広まっていくことになるでしょう。

自分の人生を生きるための方法

目の前のことにまずは一生懸命取り組むことが大事だと説いている伊藤さんですが、本の後半に進むに連れて仕事×人生についての話をしています。

あなたは人に語れる「自分の言葉」を持っていますか? どんな立場にいようと「自分はこういうことをやっている」「自分はこんなことをしていきたい」という言葉をもっていますか?そんな言葉はありますか?

この本の中で一番私がグッと心を掴まれたのがこの一文です。

「私なんて・・・」「これくらい私じゃなくても・・・」「他の人でも出来る」ついついそんな言葉が口から出そうになってしまうこともありますが、大事なポイントは「やっていること」ではなく、「どんな思いでやっているのか」だと伊藤さんは述べています。

「結局この仕事を通して、自分は何をやりたいんだ?」という軸を持つことが大事なのです。

この軸を見つけ、この軸に従って仕事をすることで、やらされ感ではなく「幸福感」が生まれ、120%の力を発揮出来るようになるのです。「未来に悩んでいる人こそ、とにかく行動せよ」と伊藤さんは読者にエールを送っています。

新しいことを始めるタイミング

この本の中で「あなたは人に語れる「自分の言葉」を持っていますか?」と同じくらい好きな一文が

「目の前にある仕事に夢中で取り組むことが大事なのは分かるけど、新しいことにも挑戦したい。その見極めは?」という質問に対しての答えとなる一文、

そんなもの(新しいことを始めるタイミング)は意識しなくてもいい。勝手に繋がっていくもの」というものでした。

目の前のことに一生懸命取り組んでいると、どうしても慣れが生じてしまい「このままでいいのかな?」と思ってしまうもの。とはいえ、このままだと良くて現状維持、プラスにはなっていないんじゃないか。そう思う気持ちは私も何回も経験しました。

しかし、転機は向こうから(他の人から)もたらされるもの。その時が来るまでじっと自分の経験と実力をためること。そんなメッセージを受け取り、自分が感じる「機」と他人が感じる「機」は異なり、急ぐものではないと学びました。

終わりに

これまでの伊藤さんが出版された本は相手を動かすための話術の方法や、すぐに行動に移すための思考法など、どちらかというとノウハウ系の本でしたが、今回出版されたこの「やりたいことなんてなくていい」はこれまでの路線とは大きく異なり、これまでに書かれてきた本の効果を最大限に生かすための「マインドセット」のための本だと感じました。

これまでの著書はどちらかと言うと男性向けだな・・・。私はゴリゴリのビジネスマンじゃないし・・・。と感じていた私ですが今回の本はとても読みやすくそして何度も考えさせられる1冊でした。

これまでに発行された本が料理でいうところのレシピ本だとするならば、今回発行された本はレシピ本を作った料理人のこれまでを記した伝記のようなものでしょう。

料理人のことを知ったからこそ、この料理が生まれた、そして食べてみたいと思わせるような3武作になっていると感じました。

今時間がたくさんあるこのタイミングに、「自分の言葉」や「自分が一番大切にしたいもの」を考えてみてはいかがですか?

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私にぴったりな仕事とは?宮木あや子『校閲ガール トルネード』

f:id:hase-base:20220405152432p:plain 今回ご紹介する1冊は宮木あや子さんの校閲ガール・トルネードです。

宮木あや子さんの校閲ガールは過去にも書評を書いています。

今回お送りする校閲ガール・トルネードは前作の続きとなる1冊です。

前回読み終わってから5ヶ月が経過したタイミングで続編を読みましたが、すっと物語の世界へ戻ることが出来ました。

本好きな人ならきっと気になる出版社の内情、今回も色濃く書かれており、楽しく読むことが出来ると思います😊

あらすじ

この物語の主人公の悦子はファッション誌をこよなく愛し、いつの日にかファッション誌の編集者になることを夢見て大手出版会社に就職しますが、配属されたのは社内でも一番地味な部署「校閲部」でした。

校閲は文章や原稿などの誤りや不備を見つけ、訂正していくという大事な仕事ではあるものの、ファッション誌への道とは程遠くなかなかやる気も出ず現状維持な毎日。

正直者で思ったことは誰であろうと言わないと気が済まない悦子。そんな破天荒な悦子の毎日を描いた作品、それが校閲ガールです。

第二作となる今回は、前作の終盤に思いが通じ見事恋人同士になった悦子と是之。2人の恋の行方からも目が離せません。

そして辞令が発表になり、ついに悦子があの憧れのファッション誌へ・・・。このまま一気に夢の世界へと羽ばたいていくのでしょうか・・・!?

仕事に一生懸命な悦子

私がこの校閲ガールを愛する理由の1つとして、「悦子はぶつぶつ言いながらも自分の仕事を愛している」という点があると思います。

ファッション誌を夢見て出版会社へ就職した悦子。夢とは程遠い部署にはいるものの根腐れするわけではなく、きちんと日々実力をつけ、その日を待つ姿には心を打たれます。

また、物語の終盤で念願叶い、ファッション誌の編集部に移動になった時には私もすごく嬉しい気持ちになりました。

自分の天職とは?才能とは?を自問自答しつつ、前に前に進む悦子をついつい応援したくなります。

これはもしかしたら私が「自分が本当にやりたいことは何か?」「私が本当に好きなことって?」と考えず「これなら食いっぱぐれなさそう」「安定していそうだから」と安易に仕事を選んでしまったという過去を持っているからかも知れません。

今でこそ好きな時に好きなことをしている私ですが、やはり過去は取り戻せません。

若かりし頃に「不本意ながらに働いていた」という事実を払拭したい、悦子を応援することで過去の自分を成仏させたいという思いがあるのかな・・・なんて考えてしまいました。

やりたいことと向いていること

この本の終盤に悦子は「やりたい仕事と向いている仕事が、違ったんです。それをやっと、昨日受けれいたんです。」とこぼすシーンがあります。

私はこのやりたい仕事と向いている仕事が違っていた、という経験を過去の就職活動の時期に味わったことがあります。

私が「やりたい」と思っていた会社の採用の方には「当社には合わない」と判断され、私があまり興味がない、と思う会社の採用の方が「この人は当社に欲しい」となったのです。

私が行きたい業種の会社を受けるも全て落ちてしまう、興味のない分野からは内定をもらうというチグハグな結果となり、就活のお祈りメールにも疲れていた私はもう安心したいという気持ちから「心からやりたい」と思うことの出来ない職業を選んでしまったのです。

(今思うと何やってんだ!!と自分に喝を入れたくなりますね・・・)

私は悦子とは異なり、向いているだろうと思った仕事の中に情熱を注げるポイントを見つけることが出来ずそのまま数年後に退職となりました。

今だったらあの仕事の中でやりたいことを見つけられたのか、それは今でも分かりません。

好きを仕事に、と騒がれる時代ではありますが、「自分のやりたい」よりも「私は何なら苦ではなく続けられるか?」を考えた方自分のためにもいいな、とこの校閲ガールをみて改めて感じました。

あなたの仕事は何?

この校閲ガール、一見破天荒な悦子の毎日を描いているストーリーのようで、「仕事とは?」「天職とは?」と深く本質を考えさせるような本でした。

男女の差は少しずつ小さくなってきましたが、依然、女性は人生の中で「結婚」や「妊娠」「子育て」という大きなライフイベントの影響で仕事の第一線から退かなければならなくなってしまう事があると思います。

ライフスタイルの段階に合わせ、多様な働き方を求められる女性だからこそ、「自分の仕事」について真剣に考えるべきだと思いました。これは私が歳をとったから感じられることで、私が今就活をしていたらまた同じ事を繰り返してしまうかも知れません。悲しいかな。

新卒で入社した会社の人事の方は「仕事」ではなく「私事」、私=あなたらしい事をできることをやりましょう!と言っていました。

当時の私はそんな綺麗事、出来ないよ・・・と思っていましたが今思い返すととても素敵な言葉ですね。

私らしい、私だからこそ出来る仕事をしているか、を念頭に日々頑張っていこうと思います。

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こんな時だからこそ、読みたい本5選

f:id:hase-base:20220413160613p:plain 連日新型ウイルスのニュースが報道され、自粛ムードが漂う毎日。皆さん情報に踊らされて疲弊してしまっていませんか?大丈夫ですか?

今日は情報があふれ、働き方・生き方が大きく変わろうとしているこんなご時世だからこそ読んで欲しい本を5冊、ご紹介させて頂きます。

「生きる」ということは自分の力の範囲内で生活すること

まず最初におすすめするのは、アズマカナコさんの『電気代500円。贅沢な毎日』です。

この本の後半部分には「もったいない」の心を大事にしよう、という話が掲載されています。

巷では一部の心無いデモのせいで紙類が品薄になる、という事態が起きています。みなさんの地域はもう品薄が解消されましたでしょうか?

(トイレットペーパーはともかくとして、)ティッシュペーパーって昔は無かったですよね。私も小学生の頃ぐらいまでは家にティッシュペーパーが無かったように感じます。

『拭く』という作業はかつて、布巾と雑巾で代用していたものの、いつしかティッシュが使われるように。

私も家のティッシュや紙類の在庫の減りを抑えるべく、先日使い古したタオルを使って雑巾の手縫いにチャレンジしてみました。

裁縫をするのはすごく久しぶりになってしまいましたが、自分で手を使いタオルを縫っているとなんだか心が落ち着いて来るような気がします。普段とは違う集中力を感じることが出来たと思います。

このタオルもだいぶ使い古しているものの、捨てるには(花柄が綺麗だし)もったいないな、と思っていました。しかし、雑巾にすることで最後までその命を使わせてもらっている気持ちになることが出来たのです。

キッチン周りを拭く時などはキッチンペーパーではなく、この雑巾を使うようになりました。

この本にはこのように与えられたものの命を最大限活かし、『自分の力で生活するヒント』がたくさん詰まっています。

ぜひ何かひとつ、参考にしてみませんか?

冬は干物を求めて

先述した紙類と併せて、私の住む地域ではカップラーメンやそば、パスタなども品薄状態が続いています。

そもそも今回の新型ウイルスは災害と異なり、インフラが止まることは無いと思うので、食品に関しては大丈夫だと思うのですが・・・。

四季のある日本では冬の間は野菜が採れません。

そこで昔の人はその問題をどう解消したかと言うと、『乾かした(干した)』のです。

凍み豆腐や干し大根、干ししいたけ、干し芋など。

この本にはそんな干物を美味しく頂くことの出来るレシピがたくさん掲載されています。

今後新型ウイルスの影響でスーパーから食料品が無くなることないと思いますが、スーパーの中で干物コーナーはなかなか穴場なので、ぜひこれを機に干物の調理方法をマスターしたり、備蓄として干物の購入を検討してみませんか?

時間の優先順位を決めよう

リモートワークの推奨で会社ではなく自宅で仕事をすることが増えた人も中にはいるかも知れませんね。

毎日の通勤から解き放たれたはいいものの、「なかなか家だと集中出来ない」「ついスマホに手が伸びてしまう」、そんな風に感じている人もいるのではないでしょうか。

そんな人におすすめしたいのがこの時間術大全です。

この本はGoogleとYouTubeというわれわれのスキマ時間を奪っていくプラットフォームを作った人たちが、時間を生む方法について書いた1冊です。

なかなか皮肉な話ですよね😊

  • ハイライト…1日の中でやるべきことを決める、そのやるべきことのために時間をどう生み出すか

  • レーザー…ハイライトで決めたやるべきことに100%集中して取り組むために、集中力を生み出す方法

  • チューニング…その日1日を振り返り、良かったこと・改善したいことを書き出す

  • チャージ…疲れた時、集中力が切れた時のリカバリー方法

これらのメソッドが詳しく説明されています。

時間を生み出す方法、集中力を継続させる方法が87も掲載されているので、きっと何か参考になるパートがあると思います。

私も最近、この本を再度読み、ノートにそのメソッド一覧を書き出しました。

今日は何をしようか、大事な優先事項のために時間をどう使おうか、疲れたらどう回復するか、1日の中で何回か見返しています。

一番効果があったのは「戦術14:朝方人間になる」です。

私は最近朝6時前に起きて9時前には一番大事な作業を終えるようにしています。すると、9時というまだまだ午前中の早い段階(会社で言えばまだ就業してまも無い段階)で肩の荷が降りているのです。

こうすることで「いつかやろう」と思っていたことを午後にゆっくりすることが出来、すごく毎日が楽しいです。

何事も環境作りが大事

家で仕事をすることになったけど、部屋の汚さが気になってしまう。

そういえば学生の頃テスト勉強しなければ行けなかったのに、気付いたら掃除していたな・・・。

きっとこんな経験、皆さんもあると思います。

そもそも掃除をしなくてもいいお部屋、簡単に片付くお部屋を目指しませんか😊?

お部屋の整理整頓を試みたいあなたには、この本をおすすめします。

この本は汚部屋をどのようにして脱出し、さらにその綺麗な状態を維持するかまでを丁寧に解説しています。

勝間さんのYouTubeでは汚部屋を脱出し、リバウンドしていない綺麗な勝間家の様子を見ることが出来るので、ぜひご覧になって汚部屋を脱出するためのモチベーションを上げてみてはいかがでしょうか?

(もちろん掃除だけではなく、お仕事も頑張ってくださいね😊)

せっかくの春休みですが、「いろいろなイベントがキャンセルされてしまい、外出も自粛されているから仕方なく家にいる😔」という方はぜひこれを機に断捨離にチャレンジしてみませんか?

この本を読んで綺麗にした私の家です

生きるということは暮らすこと

連日新型ウイルスのニュースが流れ、様々な情報が飛び交っています。

去年の大型台風の時もそうでしたが、人間は本当にちっぽけなものだ思います。

今回のウイルスも人類の存続に関して致命的なダメージを負うものでは無さそうですが、最悪の事態を想定した人も多いのではないでしょうか?

パニック状態が続くとどうしても疲弊してしまいます。そんな時に大切なことは「ていねいに、今を大切に生きる」ことだなと感じました。

この本には毎日をちょっと豊に、ていねいに暮らすコツが100個掲載されています。

前述の『電気代500円。贅沢な毎日』でも感じることがありましたが、自分の手で自分の「生」に関わることが出来るとそれだけですごくスッキリすることが出来るのです。

この本はWebメディア「くらしのきほん」から生まれたものです。こちらのWebメディアもぜひ参考にしてみてくださいね。

最後に

いかがでしたでしょうか?気になった本があったなら嬉しいです。

外出を自粛しないといけないムードが漂っていますが、そんな時だからこそ本を読みませんか?

ぜひお気に入りの1冊を探してみてくださいね😊

日常を覗く楽しさ さくらももこ 著『たいのおかしら』

f:id:hase-base:20220413161411p:plain 今回ご紹介する1冊はさくらももこさんの「たいのおかしら」です。

するする読めるのがエッセイのいいところ

風邪か花粉症か、はたまたその両方なのかは分かりませんが、なんだか体調が優れず頭がボーッとする日々を過ごしていました。

こういう日は何もやってもぼんやりしてしまってうまくいきません。

本を読もうかなと思って本を手に取っても全然調子が出ず、どうしたものかと思ったり。

ビジネス本を読んでもただ文字を目が追っていくだけ、小説を読んでも情景を思い浮かべることが出来ずに同じページを何度も行ったり来たりする始末でした。

いっそ寝てしまおうかとも思ったけど寝込むほど体調が悪いわけでもない。

そんな時はエッセイを読むことにしています。

エッセイ:随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。 随想(ずいそう)、エッセイ、エッセー(仏: essai, 英: essa)などともいう。「essai」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった。(Wikipediaより引用)

エッセイとは今で言うブログの記事を本にしたようなもの。(だと私は思っています)

作者の普段の日常を覗く事が出来、また自分とは違う生活を垣間見れるからこそ面白く、新たな発見があるのです。

さくらももこさんのエッセイが好き

さくらももこさんはこれまでに数多くのエッセイ を出版されています。

もものかんづめ

さるのこしかけ

今回ご紹介するたいのおかしらは上記2作に続く「○○の○○」シリーズです。

今回もさくらももこさんが歯の被せ物が取れてしまい、歯医者に行ったり、新しい習い事(習字)を始めるエピソードが載っていたりと、とても面白く、ふふふと微笑みながら読んでいました。

さくらももこさん以外にも多くの方がエッセイ本を出版されていますが、私はさくらももこさんのエッセイは「クスッと笑えて、ほろりと泣けて、じんわり心に残る」と思っています。

例えば歯医者で神経を抜かれてしまうという、聞くだけで顔を歪めてしまうような想像したくもない出来事を面白可笑しく表現出来るのはやはりさくらももこさんならではだと思います。

もちろんご本人もその瞬間はきっと辛く苦しい体験をされているのでしょう。

でもさくらさんがそういう辛い思い出を少しでもコミカルに書いて残して置いてくれることで、私たちが後に同じ体験をした際に「さくらさんはこうだった・・・」と思え、勇気を持てるのではないでしょうか?

少なくとも私は今後もしも歯の神経を抜く、ということになったらこの本を再度手に取り、きっと該当のページを読んで心を落ち着かせるでしょう。

辛いことも「最終的に笑えることになる」と教えてくれたのがさくらももこさんのエッセイだったと思います。

最後の思い出

この本の中で一番じんわり考えさせられたことは愛する人や物と「いつ最後の別れが来るかわからない」ということでした。

当たり前といえば当たり前ですが、その辛さは体験した人にしかわからないもの。

私たち読者はその体験を本を読み、疑似体験することで、いつか来る最後の別れを悔いのないようにするように努めることしか出来ません。

さくらももこさんは家で飼っていたネコ、ミーコと喧嘩別れのような形でお別れをしてしまいます。

ミーコがこの世からいなくなってから伝えたい思いがたくさん湧き出てきますが、時すでに遅し。

人とネコという言葉が通じているのか、通じていないのか、微妙な関係性ですが、私はきっとさくらももこさんとミーコはお互い素直になれない部分はあったにしろ、心が通じていたと思います。

だからこそもう会えない・思っていたいことを言えないとなりその心情を考えるだけで、心がぎゅっと締め付けられてしまいます。

毎回友達や親と別れる時は大げさかも知れませんが、「これが最後」と思い、悔いのないように毎日を過ごさねばと改めて思いました。

なんでもない日常を知ることの癒し効果

SNSが普及し、普段の日常では接することのない人たちの考えを知ることが出来、SNSの中で頭角を表すためには有益な情報をいかに流せるか、が1つのポイントになっていると思います。

有益な情報は確かに時にとても便利です。しかし、有益な情報ばかりに囲まれていると逆に疲れてしまうところがあるのも現実ではないでしょうか。

そんな殺伐としたSNSの中にこういう今日明日何か役に立つわけじゃないけど、心がぽっと暖かくなるような、そんな話があると私はとても安心します。

何だかちょっと疲れたな、そんな時にはぜひ、軽めのエッセイを読んでみてください。きっと心の栄養剤となってくれると思います。